奈良時代の国府周辺の壮大な都市計画
以下、文章は国府公民館 地域探訪資料より出典
− 壮大な都市計画が国府を中心に展開−
松島教諭の線引き
国府には二十棟から三十棟に及ぶ国庁舎、これを取り巻く倉庫群。朱色に輝く山王廃寺の巨大な塔
石製のしびを載せた、これまた巨大な金堂。伝統的な古墳文化の枠を集めて築かれた全国に誇りうる
宝塔山古墳・蛇穴山古墳・国府には国司を長とする数百人の役人、国府の仕事に従事する数千人の人々
動き・・・・往事の都市の姿をかいま見ることができます。
稲荷台町の稲荷神社は東向き、それに対した前橋市街地の八幡宮が西向きで相対した位置にあるには偶然
でしょうか。
図版 国分寺遺跡周辺の遺跡
※一町は109m
※北の方向は磁北ではなく真北
※国府は6町四方。後には蒼海城に
※国分寺と国分尼寺の間は3町
※妙見様の参道の区画内に
※15世紀頃に、利根川は現流路に、当時の利根川は
広瀬川、桃の木川の赤城南麓沿いに流路をとっていた。