上野国分尼寺確認調査現地説明会
開催日時 平成31年3月3日 (日曜日)
高崎市教育委員会では、平成28年度から上野国分尼寺跡の範囲を明らかにするための確認調査行っており
尼坊跡の発見など大きな成果をあげることができました。
当日は午前11時からの説明会に参加した当日の天候は曇り空で寒く途中から小雨模様でしたが大勢の歴史ファーンが
講師の先生の説明に耳を傾けていた。
国分寺について
国分寺は、天平13年(741年)聖武天皇の国分寺建立の詔を受けて全国に造られた。
国分僧寺は、
東大寺
・国分尼寺は
法華寺
を総本山とする。
上野国分僧寺の創建は8世紀中頃と考えられ、尼寺も同時期に建てられたと考えられます。
廃絶時期は、不詳ですが上野交替実録帳によると長元3年(1030)頃にはかなり荒廃していたようです。
上野国分尼寺発掘現場の写真
上野国分尼寺の範囲(現地説明会資料より出典)
1.築地塀基礎跡
上野国分尼寺伽藍範囲の北側の発掘区域で確認、中央の高くなっている部分より上に築地塀が築かれていた事を確認。
築地塀基礎部分の斜面付近からは多量の瓦の破片が出土、基礎部分の南側と北側は溝となっている。
2.尼坊跡
国分尼寺は、尼を10人置くことになっていて今回発掘調査された尼坊は、尼10人が生活する宿舎となる
今回の調査で尼坊跡東側の柱を立てる基礎となる礎石跡が規則正しく5か所並んで発見。(掲図の赤線部分)
上野国分尼寺の尼坊は、東西45m南北10.8m規模であったことが確認された。
以下、掲図は現地説明会資料より出典
以下、尼坊跡基礎部分の礎石の様子(白線で丸く囲まれている
所)
3.講堂の礎石?
尼坊跡の南側付近より発見、大型の石で角度の関係で写真では分からないが表面が平に加工されているとのことです。
講堂の礎石と思われる石は、平成28年度の調査区域でも発見されているとの話でした。
なを、この講堂の礎石と思われる石は国分尼寺壮健時の地層ではなく1108年の浅間の軽石(浅間B層)
が堆積してる地層からなのでこの石は付近より動かされているのでは?との見解でした。
4.国分尼寺西側伽藍地付近の調査区域
尼寺の東側の伽藍地境界は昨年の調査で確認されていて、今回西側の伽藍地の境界付近を調査したが築地塀の基礎らしい
遺構は確認ができないとのことで、今年の夏に更に詳しい調査を行い解明を目指すとの事です。
国分尼寺西側伽藍地境界付近様子、ここもはっきりした築地塀基礎らしい遺構は発見されていないが10世紀のころの住居跡が
発見され釜土付近には国分尼寺で使われていた瓦が出土している、この住居は人々が定住した住居なのか尼寺の建物の補修....
等の職人が一時的に利用した住居なのかが想定されるとの話でした、更に、この住居跡の少し西側からは8世紀の住居跡も発見
されているが、尼寺壮健以前になるとの話でした。
5.尼寺の確認調査で出土した瓦