堤ヶ岡飛行場跡

    堤ヶ岡飛行場は、正式名称を前橋陸軍飛行場と言う、他に菅谷飛行場とも地元では呼んでいた。
   旧国府村と堤ヶ岡村との境界線上に存在しており。旧国府地区の塚田や引間地内からの発掘調査
   では対空機関銃砲座や迫撃砲弾が発見された。

    前橋陸軍飛行場は、宇都宮陸軍飛行学校分教場や熊谷陸軍飛行学校分教場となり
   戦争末期には、特攻訓練の基地、更に格納庫を利用して中島飛行機の疎開工場ができ、
   数十機の4式戦闘機疾風が完成したようです。 
   昭和20年(1945)7月10日、飛行場近くの堤ヶ岡国民学校は艦載機の機銃掃射うけ
  大きな被害が出た。
  現在のイオンモール高崎がある南側周辺の農地が飛行場跡で終戦後、間もなく飛行場は農地に
  開拓されて現在に至っている。

   現在、棟高町の住宅街に飛行場格納庫基礎コンクリート跡が残っています

   近代日本の戦争遺跡研究、菊池実氏著 によると堤ヶ岡飛行場に疎開した、中島飛行機は地下工場跡あり、
  飛行場の西側を流れる川の両側にU字形を呈す素堀の防空壕があったらしい という記載があります。

               
              

             以下の地図は『戦争遺跡の発掘 陸軍前橋飛行場』 菊池 実 著 より出典

 

塚田村東W遺跡の発掘調査で発見された対空機関砲銃座跡

下の写真は『戦争遺跡の発掘 陸軍前橋飛行場』 菊池 実 著 より出典

 

    堤ヶ岡飛行場跡航空写真 (国土地理院国土地理院ウェブサイトより出典

    昭和23年                     平成11年

昭和23年堤ヶ岡飛行場跡付近の航空写真に格納庫らしき建物が見える(国土地理院ウェブサイトから出典)
写真に円形の形状の物が写っているが当時の防火用水漕であったらしいです。

 

                          現在の飛行場跡の様子



以下の写真は『戦争遺跡の発掘 陸軍前橋飛行場』 菊池 実 著 より出典


堤ヶ岡飛行場に列ぶ陸軍4式戦闘機疾風 (Ki−84) 背後の山並みは赤城山